【中学受験】どう解く算数!できないのではなく点が取れない謎

【中学受験】得意なはずの算数で点が取れない謎

息子は小学校低学年の頃から算数は得意としていました。受験勉強を始めて、塾の先生からも「算数は大丈夫ですよ」と言われていたので、算数以外の3教科を重点的に勉強していました。

ところが、6年生になり4月の模試をピークに、どんどん算数の成績が下がっていったのです。最初は出題範囲が広がった等の理由でたまたま苦手なところが重なったのではないかと軽く考えていたのですが、6年生の12月の時点でも最低の偏差値を取ってしまいました。これにはさすがに危機感を憶え(遅すぎですが…)、慌てて原因究明に乗り出しました。

諦めるタイミングが遅かった

まずは息子が解いた模試の問題と解答を1年分調べました。そこで次の事に気が付きました。

  1. 計算間違いなどのケアレスミスが散見された。ただし計算問題は正答率高い。
  2. 最後の大問2~3問の正答率が低かった。
  3. 全ての問題に手を付けている形跡があった。

①から考えられたのは、時間が足りないというプレッシャーから、分かる問題でも焦って計算するため、計算ミスをしてしまうのではないかということです。

②では、模試が終わった後に、模試の問題を復習させると解けなかった問題も解けたりしていました。冷静になれば解ける問題も落としていたのです。

①、②から時間配分が上手くできていないのではと推測できましたが、塾や家庭でも模試の問題は「分かるところから解いていこう」「分からない問題は後回しにしよう」と何度も言っていました。息子本人も意識していると言っていたのですが、どうも時間が足りないようにしか見えませんでした。

そして、気になったのが③でした。そこで、息子に別の模試の問題を模試と同じように解かせ、どのように解いているか見たところ、状況が分かりました。

息子は難しい問題でも何とか解こうとして手を付けたものの、途中で分からなくなり、そこで諦めていたのです。もう少し考えれば解けるのではないかと粘ってしまうこともあったようです。これを繰り返すことで時間が足りなくなっていたのです。

息子は国語に苦手意識があり、それをカバーするため算数で良い点を取りたいという意識が働き、全ての問題を解こうとしていた節もありました。

これを踏まえて、実践問題を解いていくなかで次の3つのことを徹底させました。

A. 6割の点数で合格できると意識付けた。

B. 答えをイメージできないものは諦める。

C. 最後の問題まで終えたら、まずは解けた問題の検算をする。

まず取り組んだのは「A. 6割の点数で合格できると意識付けた」でした。息子にとっては非常に効果があったように思います。

過去問題集には各教科ごとに合格者平均点、受験者平均点が載っています。息子が志望した学校の算数の合格者平均点が、満点の6割~6割5分くらいだったのです。受験者平均点にいたっては5割以下でした。これを息子に説明すると「なんだ65点(100点満点の場合)取れば良いんだ」との返事が返ってきました。点数を取らなければいけないというプレッシャーから少し解放されたのでしょう。

ここで「苦手な国語の分まで点数を取らないと」という問題が解消されてはいませんが、これも算数と同じように過去問題集を息子に見せながら「6割取れば楽勝、5割でも大丈夫」と説明しました。もちろん国語についても対策していたので、納得できたようです。

次に取り組んだのが「B. 答えをイメージできないものは諦める」です。これは、問題を読み終わったときに、これまでに解いたことがなかったり、解き方(式)を最後の答えまでイメージできない問題は諦めて次の問題に進むように意識させました。諦める基準をより具体的に示しました。この取り組みも、満点のプレッシャーから解放されることによって生きてきたのだと思います。

諦めるコツが掴めてくると、図形などはある程度最初に時間をかける必要もあるので、個別の問題についてどこまで粘るかを息子と一緒に考えていきました。

A、Bの取り組みをするようになってから、時間計測しての実践問題や過去問題での得点が安定するようになり、同じレベルの問題では平均で7割を超えるようになりましました。

そして、時間的に余裕ができてくると「C. 最後の問題まで終えたら、まずは解けた問題の検算をする」を実践することができるようになり、ケアレスミスも減りました。これにより、比較的難易度の低い問題では満点に近い点数を取れるようにもなってきたので、息子も非常に自信を付けました。

数字に対するセンスを疑う

算数の答え合わせをしていて、あることに気付きました。

「分からなかった問題でも解答欄に何か答えを書きなさい」とよく言われます。息子もその教えの通り書いていました。ある時、その解けないなりの答えを見て“アレ?”と思ったのです。

例えば、1辺30cmの正方形の中に重なり合った円が3つあり、その重なった部分の面積を求めるという問題があったとします(もちろん他にもヒントはあります)。息子は解くことができなかったので、答えを“3853 cm2“と書いていました。息子に「何でこの答えを書いたの?」と聞くと「てきとう」と返事が返ってきました。いい加減な答えを書いたのでしょう。「何でも良いから書きなさい」と言われていたので、ある意味当然かもしれません。

しかし、算数が得意な子は分からなくても答えに近い数字を書こうとします。1辺30cmの正方形の中に円があるのですから、答えは正方形の面積よりも小さいはずです。つまり、少なくとも“900 cm2”よりも小さい数字になりますし、問題の図を見てだいたい正方形の何分の1くらいかを大よそで見極めて面積を出すこともできます。

問題の解き方や計算方法は知っているけど、数字に対する感覚、センスがまだ身に付いていない、拙いのではないかと思いました。

分からない時の答えだけではなく、解けているのに間違った解答をしてまったときのことです。

自動車の速度を分速で答える問題がありました。息子は“分速8m”と書いていましたが、これは間違いでした。これも算数の得意な子は、“分速8m → 1分間に8mしか進まない自動車 → あまりにも遅すぎる → 現実的ではない”と考えを巡らせ、“どこかで計算間違いしている”という「気付き」が生まれ、ケアレスミスをカバーすることができるのでしょう。

この数字に対する感覚、センスを息子にどうやって身に付けさせるか、いろいろと調べてみましたが、よい解決法は得られませんでした。しかたないので、直接的ではないですが、数字に対する興味を持たせ、考えることの達成感を植え付けることで、センスを磨けないかと考えました。

実際に取り組んだことは、日常生活で数字に関する問題を出すことでした。

例えば、自動車で高速道路を走っているとき「あとどのくらいで着くの?」と子どもに言われた時、「自分で計算してごらん」と返します。この時、親はヒントになるような数字は与えません。この問題を息子にしたときは次のようなやりとりになりました。

子:あとどのくらいで着くの?
父:自分で計算してごらん。
子:○○まであと何キロ?
父:それもどこかに出てくるから探してごらん。
子:え~、どこ? 分からない。
父:周りをキョロ、キョロしててごらん。
しばらくして、
子:あっ! 看板にあと230キロって書いてあった。
父:じゃぁ、計算できる?
子:え~、この車、時速何キロで走ってるの?
父:それも見つけてみようか。
子:え~、わからないよう。あっ! メーターだ。今、時速80キロで走っている。紙ちょうだい!

こんな感じでした。

この問題を何度か繰り返していくうちに、ヒントを求める回数が減り、自分で問題を作るようになりました。

このことが受験に奏功したかは分かりません。しかし、数字に対する興味や考えることは受験に限らず生きていく上で大切なことです。今でも、子どもが何かを聞いてきたときには、「自分で考えてごらん」と返すようにしています。

まとめ

息子は受験生と言ってもまだ小学生です。大人が通じるだろうと思って言っている言葉も子どもは感覚的に受け取り、実際の行動に落とし込むことができていなかったり、違う行動をしていたりすることが多々あります。かまい過ぎるのも良くないですが、中学受験の場合は常日頃から子どもの勉強に対する行動をよく観察しておくことが大事だと気付かされました。

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石上 ミツトシ(ISHIKAMI Mitsutoshi)
東京都在住、アラ50、ITエンジニアの石上ミツトシです。 50歳手前で在宅勤務を選択し「妻が働きに出て、夫が家を守る」プチ主夫を体験中。 暮らしの中で”はたと”気づいたことや疑問をこのブログに書き留めています。